「Environmental Justice(エンバイロメンタル ジャスティス)」に反する風力発電問題

 エンバイロメンタルジャスティス(環境正義)とは、「環境負荷が不平等に分配されている状況(周辺部への集中)を不正義だとする思想」だそうです。 

 人種や民族、所得、職業などに関係なく、全ての人が公平に環境汚染や健康被害から保護されるべきであるという信念に基づいた社会運動であり、例えば環境負荷が人種差別的に偏って分配されている「環境人種差別」の問題などがあります。 

 環境問題を解決するためには、実際に問題が発生する前の段階における、社会的不平等という問題を解決しなければならないというのです。 

 

 このEnvironmental Justice(エンバイロメンタルジャスティス)に反する風力発電問題が起きていると、弁護士の市川守弘氏は「日本の科学者2017.11月号p15」に掲載の「風力発電被害とどう闘うか」の中で述べておられます。

( 以下抜粋) 

「私が相談を受けているケースはおしなべて都市部から離れた過疎地域であり、そこは高齢者ばかりの村落が存在している。経済的、社会的、政治的に大きな声をあげられない弱者のみの居住区である。そのような場所に風車が建設される。しかも風車によって生み出される電力は、彼らが消費する電力ではなく、大都市へ売電される電力でしかない。そこには、前述した被害のみを過疎地の高齢者にだけ押し付け、都市部の住民や電力会社だけが利益を得るという社会的矛盾がある。 

 農林業を経済の中心とするこのような過疎地では、住環境と生産活動が重複するため、24時間にわたり風車からのさまざまな被害に曝されるのである。過疎地こそ「風車被害」は拡大すると考えてよい。これは明らかにEnvironmental Justice、つまり正義に反するのである。  

 日本では法律家を含めて広く市民にはこのEnvironmental Justiceという概念自体が知られていない。しかしEnvironmental Justiceという理念を考えたとき、それは極めて法的な理念であることに気付く。高齢化した過疎地に建設された風車という、明白な不平等の実態を具体的に明らかにしていけば、風車の建設(運転)は憲法14条違反という主張も十分に成り立つと思われる。今後の法学研究者に科された課題といえるであろう。」 


「日本国憲法第14条」

 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 
 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 
 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。



 というわけで、自然破壊や低周波リスクの大きく地元にメリットのない大企業に搾取されるだけの巨大風力発電は、「Environmental Justice」という法の理念に反するものと主張できるということです。 

 地域住民にとっては、不平等、不公平を正し、等しく公正な環境の恩恵が受けられることが基本となりますので、しっかりと「こういう事業はいらない」声を上げていきましょう。


 ※但し、「正義を押し付けるあまり、差別/被差別という単純な二項対立におちいってしまっている」という落とし穴を指摘する声もあるため、「Environmental Justice」の和訳を「環境公正」とする方がしっくりくるかもしれません。

 正義を振りかざすこともまた公害になりますので注意したいものですね。

「風力発電問題」~真実はどこにある?

風力発電への期待は大きく、希望に溢れて見えます。 脱原発、さらには地球温暖化防止への脱炭素(脱火発)を正当理由に掲げ、その動きは加速しています。 地球に優しいクリーンなイメージも固定化しています。 しかし、風力発電の現実は、そうとも言い切れない部分があります。 なぜこれほど多くの反対が起きているのでしょう。 風力発電を悪にはしたくないですが、問題から目をそむけていてはならないはずです。

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